古書店・猫目堂

実在しない古書店。でも確かな想いを綴り、ここに置いてゆきます。

揺れ動く天秤【躁と鬱について】

自分は「双極性障害」(躁鬱病)という精神的疾患で
もう10数年間に渡って精神科にご厄介になっている。

…なかなか長い時間。

ここ数年については、割と落ち着いた生活が送れてます。ありがたいことに。



さて

躁鬱(そううつ)という言葉、
自分もこの疾患になるまで聞いたこともなかった。


「鬱」はよく耳にする機会もあった。

「憂鬱」の鬱 なのでいわゆる「うつ病」を患ったことのない人にもイメージしやすいかと思う。

意欲がなくなり、嬉しいとか悲しいとかの感情が鈍くなる。
部屋から出られなくなったり、悪いことばかり考えてしまう。
状態によっては命にかかわる危険なもの。


対して「躁」の状態について

鬱とは対象的に、気持ちが大きくなり行動が派手になりがち。
全能感、多幸感があるため、自分が絶対に正しいと考えてしまう。つまり、人の話を聞き入れられなくなる。
多弁になり、普段あまりしゃべらない人とかに、普段しゃべらないことを話していたりする。
他人に対して攻撃的になる。

…自分で書いてて改めて厄介なモンだと思う。
↑はだいたい自分が経験した症状だけど、これも人によって色々な症状があると思われます。


…以上が自分なりの「躁鬱」の認識ということになります。



双極性障害の厄介なところは色々あるけれど…

鬱状態」から回復…と思いきや、実は「躁状態」になってた…というパターン

そして過活動による疲労やらストレスでまたガクーンと抑うつ状態へと落ちる…

これをグラフの波のように繰り返してしまう。



自分の場合、

仕事しててストレスと不眠でダウン
鬱になって会社休む
通院・服薬にて鬱から回復
「お、調子いいじゃん」仕事する
「薬飲まなくたっていいや」勝手に飲むのやめる
通院もしなくなる
(当然ながら)仕事なんてまともに出来ない
ストレスから躁と鬱を繰り返す
荒れる 引きこもる 騒ぐ…
いきなり車で遠出したり奇行をくり返す…

わけわからなくなって入院…


ザックリだがこうした経緯でした。


色んな躁エピソードが記憶に蘇り、もう後悔やら恥ずかしいやら情けないやらで…
たくさんの人に迷惑かけた。
あやまんなきゃいけない人の顔が次々に浮かんでは消える。

なんか心臓の下の隙間になにかを突っ込まれるような苦しさを、これを書きながら感じる。



でも同時に、たくさんの人に助けられて、自分は今ここにいる。
事故とか事件に巻き込まれた可能性だってあったのだ。

幸運という他ない。



仕事も退職し、障害者年金たよりの生活だけど、多くを望まなければなんとかやっていける。
今は諸事情で行けないけど、落ち着いたらまた小規模作業所に通い、自分の可能性を模索してみたい。

一緒に暮らす妻も精神疾患統合失調症)持ちだけれど、結婚してもうすぐ9年になる。
結構シンドイ時もあるけど、きっと終わりまで一緒にいるんだろうなぁ…って考えてる。




まぁ、そんなこんなでこの
【揺れ動く躁と鬱の天秤】の話はとりあえず纏めたいと思います。


これからもその天秤は揺れ続けるかも知れない


でも揺れをなるべく小さく、穏やかに保つ。


それこそが今まで生きてきた、生かされてきたこの幸運に対して自分がするべき事であると思う。