古書店・猫目堂

実在しない古書店。でも確かな想いを綴り、ここに置いてゆきます。

【青い鳥との別れ】消える文字と消えない温度

1月24日、Twitterをやめた。

2020年8月から5ヶ月。
色んな事を書き込んだり、リアクションをもらったりするのは楽しかった。

共感と励まし。
文字だけのやりとりで誰かと同じ事を共有する
距離を超えて 壁を超えて。

誰かの苦悩や悲しみに触れて苦しい事もあった。
中途半端なのはわかってるけど、共感と励ましが届いている事を今も願ってる。


しかしなんだかな
自分でタイムリミットを決めて何かをやめる…
妙な感じだね
誰かが始めたお祭りに入れてもらったのに、自分で終わらせるみたいなさ
高揚感と淋しさ。


過去にも経験あるけど、ネットの繋がりはやっぱり一期一会。
簡単に無くなってしまう。
だから親しい人にお別れする期間を経てやめる事が出来たのは良かったと思う。
いきなり消えちゃうのは淋しい。


でも確かに消えないものもあるんだ
心の奥でじんわりと感じる暖かいモノ
人と人との間にしか存在しないモノ
そう。
画面の向こう側には自分と同じ
呼吸や体温がある。
心の中に確かに受け取った、暖かさがある。

この暖かさを共有出来てたら嬉しいな。
心からそう思う。



さてこのブログ(のようなもの)をどうするか?

Twitterがなければ存在しなかったであろうこの古書店を、閉店するのは惜しい…
なので開店休業であっても残そう。
たまに本棚の埃を払って
来るアテもない客を待つのも一興。


空と時間はみんなと繋がっているのだから。

【猫目堂店主のオススメ書籍②】

だいぶ寒くなってきましたね。

部屋を暖かくして、コタツで読書など如何でしょう?


店主はファンタジーもの(小説でもゲームでも)が大好きなのですが、今回は海外のファンタジー小説をご紹介させてください。



バーティミアス サマルカンドの秘宝】
(ジョナサン・ストラウド 著)


ロンドンを舞台に、魔術師(見習い)の少年と、彼によって喚び出された妖霊(悪魔のようなもの)によって物語が綴られていきます。

この妖霊("ジン"という存在。"悪魔"と呼ばれるのは好まないようです)がバーティミアス
召喚主の少年(ナサニエル)とは本来主従の関係にあります…

…が、この妖霊、かなりのクセ者。
命令をしぶしぶ受け入れつつも、隙あらば反撃しようと企みます。

見習いで弱腰、しかし目的のため虚勢をはるナサニエル

命令に従いながらも、主人をどこか小馬鹿にした態度のバーティミアス

二人(?)の対比がまず面白い♪


舞台も近代のロンドンとなってますが、魔術師たちが政治や社会に大きく影響し、その力を振るっている世界。

バーティミアスナサニエルの命令で、とある魔術師のもとから秘宝を盗んでくるよう命じられます。
この「命令」を果たすまで、バーティミアスは自由の身になれません。
そのプライドの高さゆえ、余計なトラブルを巻き起こしながら(ときに悪態をつきながら)様々な魔法を駆使し、変身の魔法で色々な生き物へと姿を変えながら、任務を果たすためロンドンの街を奔走します。

本文は主にバーティミアスの視点で進んでいきますが、所々に彼による"注釈"が入ります。
(魔法的なものごとに対しての解説や、彼自身の感想、悪態なども 笑)
本文の下段に並行して書かれているため、一緒に読み進めることができるので読みやすいと思います。


本来恐れるべき存在の彼ですが、これがまたなんとも人間クサいのです(笑)
偏屈な人間の魔術師なんかより、ずっと人間クサいです。うん
感情移入してしまう事間違いなしでしょう!
物語のテンポも良いです



この物語【バーティミアス】シリーズは第一部【サマルカンドの秘宝】から始まり、三部構成になっています。

バーティミアスのドタバタに加え、若き魔術師ナサニエルの成長も見どころです。


ぜひ読んでみて下さいね!(^^♪

【魔法使いの宝飾店と指輪の物語】

その街は、二十歳そこそこの僕にとってまるで魔法のような街だった。


天井の高いアーケード街。古くて洒落た喫茶店
僕の興味をひく服や靴。雑貨や本。
そこには全てが詰め込まれていて、何度訪れても飽きることがなかった。



6番街と7番街の間だっただろうか。

シルバーを中心にアクセサリー全般を扱っている「その店」は、有名なファンタジー小説に登場する偉大なる魔法使いの名前がついていた。


通りからちょっと入った所にあるその店を見つけてたまたまふらっと入った時から、そこは僕にとっても「魔法使いの店」になったのである。



その店の店主は、白い髭をたくわえた老人が杖を持って…

って、そんな事はもちろん冗談。


ハンチング帽と眼鏡がとてもよく似合う小粋な人懐っこいおじさんであった。
奥さんは色白でほっそりとした穏やかな女性だったが、話していると品物1つひとつやそれを作る職人さんへの熱とか尊敬の念を感じることができた。



おじさんは僕を「おぬし」と呼ぶ。

おぬしはこれからどっか行くん?
これなんか おぬしどうよ?

…みたいに。


モチーフやデザインに込められた意味や、これはどこどこの若い職人さんが作ったんよ。とか
たまにコーヒーなど出してもらったりして、いろんな話しを聞いては、いちいち感心したものだっだ。




色々と思い出はあるのだが、指輪の話しをしよう。


マリッジリングなどもオーダー出来るそのお店は、サンプルの載ったパンフレットも置いてあった。

その中のひとつが僕の目にとまった。


細くて ちょっと厚みのある至ってシンプルなデザイン。

その"内側"に、小さな石が4つ、並んで埋め込まれていた。

ダイヤモンド、エメラルド、アメシスト、ルビー。

アメシスト以外は宝石の代表格だ。
アメシスト紫水晶)はあまりこの手のリングに使われる事は少ない。



なんでアメシストが入ってるか おぬしわかる?


うーん なんでです?


分からない僕に おじさんは説明してくれた。



アルファベットだと、

Diamond
Emerald
Amethyst
Ruby

になるんよね


そいでさ、頭文字をとると、

D E A R でしょ?


『Dear』 = 親愛なるものへ


…って意味になるんさ
裏側に入ってるのがミソだよなぁ


へぇー なんか良いっすね…


当時彼女なんていなかった僕には、遠くで煌めいてる灯りのような「物語」でしかなかったが、それでもぼんやりとした「希望」のようなものを受け取った気がした。





『縁』は時に様々なものごとを結びつける。


人と場所 人と物 人と人…


あの日、あの角を曲がってあの場所に辿り着いたのも、また縁があったからだろうと思う。


もちろん、結びついたものが途中で途切れてしまう事もある。
(むしろそちらの場合が実に多いのだ)



20代から30代の初めにかけて僕は、途切れてしまったものを追いかけては派手に転んでいたような気がする。

友人や家族が差し伸べた手を振り払うようにして僕は、過信の坂を転がるように落ちていった。

「物語」は始まる事なく
「希望」も見失っていた




それでもなお、暗闇の中でさえ『縁』の糸は

僕と、途切れずに残ったものとを結びつける。

知らず知らずのうちに。






…暗闇を彷徨う僕の前で


「指輪の物語」は また動き出すことになる






…奇妙な『縁』が結んだ先で、




10金のピンクゴールドの地金の内側に4つの石が埋め込まれた指輪は


僕と妻の指に それぞれはめられているのです。




(その「魔法使いの宝飾店」にはここ何年も行っていないけど、きっとどこかで魔法のような物語をアクセサリーに込めて商いをしているはずである)







【後書き】
この「魔法使いの宝飾店」は実在します。
「指輪の物語」も。

記憶をもとに書いてますので、細部については多少美化されてるかも知れませんが(笑)

もしお店に興味のある方は、Twitterの方へご連絡下さいね
https://twitter.com/yukito_jj7dsrta

【猫目堂店主のオススメ書籍①】

読書の秋、ってことで、ここ半年は本を読んでいない(笑)店主のお気に入りな本を紹介しようと思います。




【どこから行っても遠い町】
川上弘美 著)

どこか近くにありそうなちいさな商店街。
魚屋さんや居酒屋、喫茶店
そこに働く人やお客さん、さらにそこに繋がる人々…

それぞれの人々の視点から語られていくそれぞれの物語は、少しずつクロスして繋がってゆき、またその商店街へと帰結します。

普通の、でもちょっと歪な登場人物たちの日常。
でも普通の人生ってそんなもんだよな〜なんて。

哀愁漂う1冊だと思います。




長い長い殺人
宮部みゆき 著)

普通、登場人物は人間の場合が多いですよね?
この本はなんと「財布」の主観で語られてゆきます!

刑事の胸ポケットに収まっている財布
事件の目撃者の財布
死者の財布……など。

持ち主や状況、財布の中身。
口調や性格、見た目も様々な個性的な「財布」たちの視点から事件の真相が徐々に明らかに

ちょっと変わったミステリー小説になってますね。




…如何でしょうか?
もし興味がおありでしたら、ぜひ手にとってみて下さいね。
また別のオススメも紹介できたらと思います
それでは、またの機会に(^^ゞ

【いいえ私は 子年の女】

彼女は買い物カゴにシリアルの袋を2つ入れた

1つでいいじゃん?
…って言っても無駄だと 言いかけてやめた


なにしろ彼女は【子年生まれの女】だから


ネズミ年生まれの女は 備蓄するものよ と
彼女は言う


なんだよそれ?

午年の男には到底理解出来ない理屈だ


彼女はかまわずにハンドソープの詰め替え(家にもまだ残りがあるというのに)と、あとヨーグルトも2つ買い物カゴに入れた


また少し重くなった買い物カゴを持って、僕は今日もまたレジへと向かう



…でも今年、くだらない買い占めによるトイレットペーパーの品薄があった

流石にこの時ばかりは【子年の女理論】
に感謝せざるを得なかったのである





【後書き】
※ほぼ実話です(笑)

揺れ動く天秤【躁と鬱について】

自分は「双極性障害」(躁鬱病)という精神的疾患で
もう10数年間に渡って精神科にご厄介になっている。

…なかなか長い時間。

ここ数年については、割と落ち着いた生活が送れてます。ありがたいことに。



さて

躁鬱(そううつ)という言葉、
自分もこの疾患になるまで聞いたこともなかった。


「鬱」はよく耳にする機会もあった。

「憂鬱」の鬱 なのでいわゆる「うつ病」を患ったことのない人にもイメージしやすいかと思う。

意欲がなくなり、嬉しいとか悲しいとかの感情が鈍くなる。
部屋から出られなくなったり、悪いことばかり考えてしまう。
状態によっては命にかかわる危険なもの。


対して「躁」の状態について

鬱とは対象的に、気持ちが大きくなり行動が派手になりがち。
全能感、多幸感があるため、自分が絶対に正しいと考えてしまう。つまり、人の話を聞き入れられなくなる。
多弁になり、普段あまりしゃべらない人とかに、普段しゃべらないことを話していたりする。
他人に対して攻撃的になる。

…自分で書いてて改めて厄介なモンだと思う。
↑はだいたい自分が経験した症状だけど、これも人によって色々な症状があると思われます。


…以上が自分なりの「躁鬱」の認識ということになります。



双極性障害の厄介なところは色々あるけれど…

鬱状態」から回復…と思いきや、実は「躁状態」になってた…というパターン

そして過活動による疲労やらストレスでまたガクーンと抑うつ状態へと落ちる…

これをグラフの波のように繰り返してしまう。



自分の場合、

仕事しててストレスと不眠でダウン
鬱になって会社休む
通院・服薬にて鬱から回復
「お、調子いいじゃん」仕事する
「薬飲まなくたっていいや」勝手に飲むのやめる
通院もしなくなる
(当然ながら)仕事なんてまともに出来ない
ストレスから躁と鬱を繰り返す
荒れる 引きこもる 騒ぐ…
いきなり車で遠出したり奇行をくり返す…

わけわからなくなって入院…


ザックリだがこうした経緯でした。


色んな躁エピソードが記憶に蘇り、もう後悔やら恥ずかしいやら情けないやらで…
たくさんの人に迷惑かけた。
あやまんなきゃいけない人の顔が次々に浮かんでは消える。

なんか心臓の下の隙間になにかを突っ込まれるような苦しさを、これを書きながら感じる。



でも同時に、たくさんの人に助けられて、自分は今ここにいる。
事故とか事件に巻き込まれた可能性だってあったのだ。

幸運という他ない。



仕事も退職し、障害者年金たよりの生活だけど、多くを望まなければなんとかやっていける。
今は諸事情で行けないけど、落ち着いたらまた小規模作業所に通い、自分の可能性を模索してみたい。

一緒に暮らす妻も精神疾患統合失調症)持ちだけれど、結婚してもうすぐ9年になる。
結構シンドイ時もあるけど、きっと終わりまで一緒にいるんだろうなぁ…って考えてる。




まぁ、そんなこんなでこの
【揺れ動く躁と鬱の天秤】の話はとりあえず纏めたいと思います。


これからもその天秤は揺れ続けるかも知れない


でも揺れをなるべく小さく、穏やかに保つ。


それこそが今まで生きてきた、生かされてきたこの幸運に対して自分がするべき事であると思う。

【Twitter】青くて白い鳥の呟き

Twitterというものについて考えてみる。


このブログ(のようなもの)を今見ている人は、多分Twitterから飛んできた人が多いかと思います。

自分がブログ(のようなもの)を書いてみようと思い立ったのも、ブログを書いてるフォロワーの人達に刺激を受けたから。

つまり、Twitterを始めなければ
今、こうしてここで文章を書く事は(おそらく)なかったんだろうなぁと思うわけです。



自分のTwitterでのつぶやき。
"つぶやき"というには長文が多い傾向がある。

なんか伝えたい…
考えてる事 なるべく考えてる通りに伝えたい
そんな欲求が強いのだなきっと。

キチキチに詰め込んだ文章は「考えてる通り」の形になれないまま、不完全な"つぶやき"として放り投げられる事になる

文字数が足りない。


なので、ブログというひとつの形として、"伝えたい欲"を満たす事とします(笑)




…そうそう、Twitterの話しでしたね(笑)



思うに、

Twitterというのは

自分の持っている思考や感情という"石"みたいなものを、大きな"海"のようなものへと放り込む

みたいなイメージ。



アーティストとか芸能人が放れば、デカイ"石"が水面に落ちる

大きな水しぶきが立ち、大きな波紋が広がる


自分はせいぜい小石ぐらいかな
ポチャン と落ちて、小さな波紋がおきるぐらい


そんなもんだよね。




でもその"石"は、実に色々な姿で"海"へと放り投げられてゆく。


丸い石もあれば 尖った石もある

芸術的な石 そこらへんにあるようなありふれた石

輝く石もあれば 暗く沈んでゆく石もある







願わくば、


人を傷つけない まーるい小石を
海へと放りたい。


そして、


心地よい波紋が返ってくるのを


いつも 待っていてしまうのです。